2012年04月26日
異色の時代劇「必殺」シリーズを語る・・・その1
今から39年前の1972年、斬新なテレビ時代劇がスタートしました。
その名は、必殺仕掛人
のちの「必殺シリーズ」第1号作品ですね(^_-)-☆
藤枝梅安役の故、緒形健さん

本作は『仕掛人・藤枝梅安』とその基になった短編「殺しの掟」(短編集『殺しの掟』に収録)を原作としている。『仕掛人・藤枝梅安』は当時連載が始まったばかりで、テレビ放送と平行して原作が書かれるという一種のメディアミックスの様相を呈していた。そのため、彦次郎や小杉十五郎が登場しないなど、実際の『仕掛人・藤枝梅安』とは異なる部分も多い。むしろ『殺しの掟』の登場人物である西村左内・音羽屋半右衛門・岬の千蔵に藤枝梅安が加わった形になっている。逆に音羽屋半右衛門が、本作の人気を受けて後に『仕掛人・藤枝梅安』でレギュラー化するということも起こった。
本作は、当時人気時代劇であった『木枯し紋次郎』に対抗すると同時に、新しい時代劇を作るというコンセプトの下に作られており、金をもらって人を殺す者達を主人公とする、当時としては異例な作品であった。これらの取り組みは功を奏して視聴者に受け入れられ、以後必殺シリーズとして長く続くこととなる。
以後のシリーズ作品は3作目の『助け人走る』を除いて完全なテレビオリジナル作品であるが、その登場人物や殺し技は、西村佐内や藤枝梅安など、本作の登場人物の色を受け継いでいる。
製作背景
当時、時代劇はフジテレビの『木枯し紋次郎』が躍進しており、朝日放送はその対抗策として池波正太郎作品を原作とした番組企画を立てる。これは池波の短編『殺しの掟』『おんなごろし』を基に「闇の殺し屋たち」を主役にした時代劇ドラマであった。当時のテレビ時代劇では勧善懲悪が基本であり、金をもらって人を殺す側が主人公というのは異例であった。チーフプロデューサーの山内久司の回想によれば、交渉のため、この企画を池波に話した際、「あんた、よくあんなものをテレビで流そうなんて考えたな」とあきれたように言われたという[要出典]。また、原作自体もこの時点ではパイロット版に近い状態であり、作品としての『仕掛人・藤枝梅安』は確固としたものでは無かった。このため、原作は『仕掛人・藤枝梅安』としつつも、登場人物は『殺しの掟』がベースとなっており、その登場人物である西村左内、音羽屋半右衛門、岬の千蔵に、連載を始めたばかりの原作から主人公の藤枝梅安を加えた構成となっている。以上の事由により、『必殺仕掛人』に限り、西村左内が主人公として扱われた。
企画段階では、当時の時代劇製作を主導していた東映と、ほとんど時代劇製作の経験が皆無であった松竹に企画書を送り、コンペを開いた。実際、プレゼンテーションも、手馴れていた東映に対し、松竹はテレビ部の1人しか来ないという状態であったが、山内は新しい時代劇を作るというコンセプトの下、松竹を選んだという。実際にコンペ前日に山内と松竹のスタッフで話し合い談合を行なっていた
キャスティングでは、山内がホームドラマの要素を入れたいと考えており当時ホームドラマで活躍していた人物が検討された。藤枝梅安には新国劇で活躍した緒形拳が起用され、音羽屋半右衛門には、当時のホームドラマで父親役を数多く演じ、人気の高かった山村聰を迎えた。しかし、西村左内は当初予定していた竹脇無我が断ったために、剣劇俳優であった林与一が選ばれた。これら草案(竹脇・緒形・山村)は、コンペの前から山内と松竹で既に決められていた。
この後、第1話の完成後に当時の関東地区ネット局であったTBSが放送反対を表明するなどの問題に見舞われたが、1972年9月2日、無事放送開始にこぎつけた。
周りの予想に反し、革新的なコンセプトの『必殺仕掛人』は大きな支持を得て、高視聴率を叩き出した。特に当時のTBS系列は、『8時だョ!全員集合』を代表として土曜のゴールデンタイムが非常に強く、土曜22時の本作は、それをさらに確固なものとする。また、対抗相手であった『木枯し紋次郎』にも視聴率で勝り、マスコミは「必殺に殺られた紋次郎」と書きたてた[要出典]。当初2クールの予定であった本作は、2カ月延長されて最終回を迎え、以後必殺シリーズとして、長く続くこととなる。
放送終了後には、映画が3作作られており、特に2作目の『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』以降は小杉十五郎が登場し、林与一が演じている
(ウイキペディアより抜粋)
原作コミックでも、楽しめますよ。
最後にOPのナレーションと主題歌「荒野の果てに」で〆ますm(__)m
「晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す、いずれも人知れず仕掛けて仕損じなし、人呼んで仕掛人、ただしこの稼業江戸職業づくしには載っていない」
その名は、必殺仕掛人
のちの「必殺シリーズ」第1号作品ですね(^_-)-☆
藤枝梅安役の故、緒形健さん

本作は『仕掛人・藤枝梅安』とその基になった短編「殺しの掟」(短編集『殺しの掟』に収録)を原作としている。『仕掛人・藤枝梅安』は当時連載が始まったばかりで、テレビ放送と平行して原作が書かれるという一種のメディアミックスの様相を呈していた。そのため、彦次郎や小杉十五郎が登場しないなど、実際の『仕掛人・藤枝梅安』とは異なる部分も多い。むしろ『殺しの掟』の登場人物である西村左内・音羽屋半右衛門・岬の千蔵に藤枝梅安が加わった形になっている。逆に音羽屋半右衛門が、本作の人気を受けて後に『仕掛人・藤枝梅安』でレギュラー化するということも起こった。
本作は、当時人気時代劇であった『木枯し紋次郎』に対抗すると同時に、新しい時代劇を作るというコンセプトの下に作られており、金をもらって人を殺す者達を主人公とする、当時としては異例な作品であった。これらの取り組みは功を奏して視聴者に受け入れられ、以後必殺シリーズとして長く続くこととなる。
以後のシリーズ作品は3作目の『助け人走る』を除いて完全なテレビオリジナル作品であるが、その登場人物や殺し技は、西村佐内や藤枝梅安など、本作の登場人物の色を受け継いでいる。

製作背景
当時、時代劇はフジテレビの『木枯し紋次郎』が躍進しており、朝日放送はその対抗策として池波正太郎作品を原作とした番組企画を立てる。これは池波の短編『殺しの掟』『おんなごろし』を基に「闇の殺し屋たち」を主役にした時代劇ドラマであった。当時のテレビ時代劇では勧善懲悪が基本であり、金をもらって人を殺す側が主人公というのは異例であった。チーフプロデューサーの山内久司の回想によれば、交渉のため、この企画を池波に話した際、「あんた、よくあんなものをテレビで流そうなんて考えたな」とあきれたように言われたという[要出典]。また、原作自体もこの時点ではパイロット版に近い状態であり、作品としての『仕掛人・藤枝梅安』は確固としたものでは無かった。このため、原作は『仕掛人・藤枝梅安』としつつも、登場人物は『殺しの掟』がベースとなっており、その登場人物である西村左内、音羽屋半右衛門、岬の千蔵に、連載を始めたばかりの原作から主人公の藤枝梅安を加えた構成となっている。以上の事由により、『必殺仕掛人』に限り、西村左内が主人公として扱われた。
企画段階では、当時の時代劇製作を主導していた東映と、ほとんど時代劇製作の経験が皆無であった松竹に企画書を送り、コンペを開いた。実際、プレゼンテーションも、手馴れていた東映に対し、松竹はテレビ部の1人しか来ないという状態であったが、山内は新しい時代劇を作るというコンセプトの下、松竹を選んだという。実際にコンペ前日に山内と松竹のスタッフで話し合い談合を行なっていた
キャスティングでは、山内がホームドラマの要素を入れたいと考えており当時ホームドラマで活躍していた人物が検討された。藤枝梅安には新国劇で活躍した緒形拳が起用され、音羽屋半右衛門には、当時のホームドラマで父親役を数多く演じ、人気の高かった山村聰を迎えた。しかし、西村左内は当初予定していた竹脇無我が断ったために、剣劇俳優であった林与一が選ばれた。これら草案(竹脇・緒形・山村)は、コンペの前から山内と松竹で既に決められていた。
この後、第1話の完成後に当時の関東地区ネット局であったTBSが放送反対を表明するなどの問題に見舞われたが、1972年9月2日、無事放送開始にこぎつけた。
周りの予想に反し、革新的なコンセプトの『必殺仕掛人』は大きな支持を得て、高視聴率を叩き出した。特に当時のTBS系列は、『8時だョ!全員集合』を代表として土曜のゴールデンタイムが非常に強く、土曜22時の本作は、それをさらに確固なものとする。また、対抗相手であった『木枯し紋次郎』にも視聴率で勝り、マスコミは「必殺に殺られた紋次郎」と書きたてた[要出典]。当初2クールの予定であった本作は、2カ月延長されて最終回を迎え、以後必殺シリーズとして、長く続くこととなる。
放送終了後には、映画が3作作られており、特に2作目の『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』以降は小杉十五郎が登場し、林与一が演じている
(ウイキペディアより抜粋)
原作コミックでも、楽しめますよ。
最後にOPのナレーションと主題歌「荒野の果てに」で〆ますm(__)m
「晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す、いずれも人知れず仕掛けて仕損じなし、人呼んで仕掛人、ただしこの稼業江戸職業づくしには載っていない」
Posted by プリキュア☆パパ at 23:36│Comments(1)
│懐かしの時代劇を語る
この記事へのコメント
呼ばれたような
気がしました(*^^*)♪
気がしました(*^^*)♪
Posted by suu at 2012年04月27日 02:20